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【松坡文庫研究会】田辺松坡の詩扇面 | 逗子開成中学校・高等学校

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【松坡文庫研究会】田辺松坡の詩扇面

松坡文庫研究会

【松坡文庫研究会】田辺松坡の詩扇面

【松坡文庫研究会】田辺松坡の詩扇面

松坡文庫研究会の袴田潤一先生よりご寄稿いただきました。鎌倉市中央図書館の所蔵になった詩扇面二点について、漢詩のみならず、その由来や背景についてご紹介くださいました。

【松坡文庫研究会の活動】田辺松坡の詩扇面

鎌倉市中央図書館に松坡先生の詩扇面二枚があります。松坡先生が日本画家の西松秋畝に贈ったもので、秋畝のお嬢様で、やはり日本画家の西松凌波さんから図書館に寄贈されました。

西松秋畝(にしまつ しゅうほ 1875~1963本名は団三)は岐阜県出身の円山四条派の日本画家で、東京美術学校では荒木寛畝と川端玉章に学びました。雅号の「秋畝」は荒木寛畝の弟子であることを表しています。卒業後、神戸の中学校で教鞭を執りましたが、恐らく明治30年代末頃から神奈川県師範学校で教えるようになりました。教員としての経験を活かして、『最近図画教授法』(宝文館1903)、『改正小学校令適用図画科教授法』(白浜徴 訂 鍾美堂 1907)などの著作もあります。画家としては荒木寛畝が主催した読画会(1905~1945)や帝展などに出品しています。読書会第一回には「鴨」と題された作品を出品し、それは『美術画報(十八編巻六)』(1905.12.20) や『読画会画集 第1集』(画報社1906)に収録されています。

師範学校在職の西松先生のことは卒業生が次のように回想しています。

圖畫の最初の時間先生は默つて一つメンツウの寫生を命じられた。大柢のものが徑を高さより短かくしたり、上の底の圓の投影を誤つた。そして後で先生は生徒に實物を計らせて其の誤りを直觀させて、さて曰く「君たちの目は腐つてゐる。なつてをらん」そして一々小學校の恩師の名を言はせられてしまつた。臺詞もどきの先生の第一演説には大柢ふるへ上つてしまつた。
(大正8年卒業 新川正一「先生の印象」 『創立六十年記念誌』神奈川縣師範學校1935)

歯に衣着せぬもの言いの、厳しい先生だったようです。因みに「メンツウ」とは面桶。一人前ずつ飯を盛って配る曲げ物で弁当箱として用いられました。

 

秋畝は神奈川県師範学校在職中、鎌倉女学校校長を務めていた松坡先生(田辺新之助先生)の懇請により、大正3(1914)年に同校の講師となりました(昭和14年頃まで在職)。『鎌倉そして鎌女』(鎌倉女学院1981)の末尾に付された旧職員名簿の大正期の欄に西松団三の名があります。また、創立25周年記念式典(1929年)に際し、勤続者として表彰されています。

 

鎌倉女学院での秋畝の仕事として記録されているのは、大正14(1925)年度の入学生から使われた同校最初の校章の図案を考案したことです。『鎌倉そして鎌女』には、「松皮菱の中心に三つの松の実があって、その実から松の葉が放射状に伸び」、鎌高女の三字が配置されている図案だとあり、学校が海岸付近一帯の松林の中にあったことと、田辺新之助校長が「松坡」と号していることによる図案だと秋畝自身が語っていたとも記されています。松坡先生が秋畝に扇二本を贈っていることとからも、秋畝と松坡先生とは一講師と校長という関係だけでなく、芸術(美術と文学)を通した友情で結ばれていたと思われます。

さて、秋畝旧蔵の詩扇面を見てみましょう。一つは扇の形として残っているもの。五言絶句が書かれています。

朱文方印(刻字不詳)
林下卜幽居     林下 幽居を卜し
竹間通細逕     竹間 細逕に通ず
誰云韓子廬     誰か云う 韓子の廬と
有意占名勝     意有りて 名勝を占む
癸酉夏日 松坡居士  白文方印「子愼」 朱文方印「松坡」

俗塵を避けて静かにひきこもって暮らすための廬(庵)がまるで「韓子」の廬のようだと言っています。韓子は韓愈(768~824)をいうのかも知れません。その廬が風情のある見事な風景を独り占めしているのだと詠じています。癸酉は昭和8(1933)年。この詩は「夏日偶成七首」の第五首として『漢詩春秋』第17巻第7号(1933.7.1)に掲載されたものですが、秋畝の鎌倉の住まいを詠っているかのような詩であり、松坡先生自ら扇面に認めて秋畝に贈呈したのです。

もう一つは扇骨から剥がされて台紙に張られた状態のもの。七言絶句が書かれています。

西松秋畝旧蔵の松坡詩扇面(鎌倉市中央図書館蔵 西松凌波氏寄贈)

白文方印(刻字不詳)
滅却二千年道徳   滅却す 二千年の道徳
西来邪説難防得   西来の邪説 防ぎ得ること難く
時危誰不念英雄   時 危きに 誰か英雄を念わざる
奈此東方君子國   此の東方君子の国をいかんせん
秋畝画伯正之
松坡居士 白文方印「子愼」 朱文方印「松坡」

二千年道徳、日本古来の道徳が失われてしまい、西来の邪説(西洋の宗教や道徳、個人主義的風潮か)の蔓延を防ぎきれないことを歎ずる詩。危急の時に英雄の登場を願っています。松坡先生がこの詩を詠んだ時期についてはっきりしたことは判りませんが、この詩が書かれた書が逗子開成中学校創立30周年を記念して生徒に贈られています(書は創立三十周年記念後報1933.3に掲載されていますが、現在、書そのものの所在は不明です)。「時 危きに」、危いと表現されたことで松坡先生が何を考えていたのでしょうか。

松坡先生の書(『修養會誌』臨時増刊號 創立三十年記念後報 所載)

 

松坡先生が親しく交際した西松秋畝に贈った詩扇面がその死後もお嬢様によって大切に保管され、更に松坡文庫のある鎌倉市中央図書館に寄贈されたことはまことに喜ばしいことです。しかもそこに書かれた詩の一篇は逗子開成にも所縁のあるものなのです。